八ヶ岳総合研究所

八ヶ岳から。地域振興、まちづくり、時事、読書録、旅行記等、いろいろ

ふるさと納税と黄金の羽根

橘玲氏の「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」を読んだことをある方も多いと思う。

 

著者は文中で黄金の羽根のことを、日本の制度上の歪みから必ず利益が得られるポイントとしている。

 

昨今話題にあがることの多いふるさと納税はまさにその1つである、あるいはあったと言えるだろう。

 

本来税金とは富の再分配がその目的の1つであるが、このふるさと納税を巡っては所得が多い者ほど多くの返礼品が得られるようになっている。

 

また加熱した返礼品競争のため各自治体はこぞって広告をだして、寄付を呼びかけている。この広告費も勿論公費負担だ。

 

本来得られるはずだった税収のうちおよそ半分近くは返礼品やふるさと納税そのものの広告に使われていることになる。

 

だからといってこの制度を使わないことが正解なのだろうか。勿論、明確な意思を持って使わないと決めている人間にまで強制をするつもりはない。しかし、課税所得がある程度ある人間にはほぼ必ずといっていいほどお得な制度であり、「黄金の羽根」なのだ。使うべきだろう。

 

1人の有権者として国家のあるべき姿から制度を批判する傍ら、1人の納税者として制度の歪みから便益を得る一見矛盾した行動は、極めて合理的なものであり、間違ってはいないと私は思う。

 

(ただ、職場等ではむやみやたらに喋らないのもまた肝要かと。)

【書評】地方都市の持続可能性

本書は特に廃藩置県以降の日本の都市の歴史を振り返ることで、今後の日本の都市の持続可能性について論じている。


そのため、廃藩置県以降の我が国の地方自治制度及び各地の都市の隆盛について知るには、いい本である。


著者曰く、これまで都市の力の指標としては人口が代表的であったが、今後人口減社会を迎えるにあたり何が都市の力のバロメーターとなるのか、これといったものはないという。


人口を追い求めるのものでもなく、1人当たりの所得も大都市と地方では地価が違い、事情が異なる。むしろ他所と比較するのではなく、己が道を進む以外にないと。

 

確かにその通りだが、現在の地方には己が道を見出せる人材が官民共に不足している。

 

一考に値するのは「バカの壁」でお馴染みの養老孟司氏が提唱する「逆参勤交代」だ。霞ヶ関に集中している日本のエリートを地方の現場に一定期間半強制的に移すのだ。

 

我が国は高齢化社会の文脈において、世界の最先端を走っている。その中でも最前線は日本の地方だ。その最前線にエリートを配置すれば、未来は今より上向くかもしれない。

 

【書評】成功する地域資源活用ビジネス: 農山漁村の仕事おこし

まず著者は過去のハコモノ行政、三セク方式、それにふるさと創生を痛烈に批判している。

 

それらと対照的な事例として、全国の中山間地域から

長野県小川村

島根県吉田村(現雲南市)

岐阜県明方村(現郡上市)

島根県海士町

を紹介している。


事例中の団体は分類上は三セク方式だが、

行政は金を出すが口は出さない

身の丈にあった経営規模

出資者に住民がいる

等、赤字を垂れ流している全国の三セクにはない特徴がある。


著者は上記の事例に基づき、成功する地域資源活用策について、

過大な需要予測に基づくハコモノ行政・三セク経営ではなく、身の丈にあった小規模経営×地産地「商」を提唱している。

(中山間地域の購買力では地産地「消」はスケールしない。)


成功する地域の今の課題はIT人材の登用だが、中山間地域にそうした人材リソースがなく難しいことも述べている。

 

個人的には中山間地域の規模感ではITは外注でいいと考えるが、足元を見られない程度に適切に外注できるサポートができる人材は必要かもしれない。それだけでは仕事にならないが、こうした所は広報が手薄なところも多いため、それらに適した人材を捕まえられれば、課題解決に繋がるかもしれない。

【書評】AI vs.教科書が読めない子どもたち

2018年、書店で見かけない日がないというくらいに売れていた本書だが、2019年になってようやく読めたので書評を書いてみる。

 

昨今のAIブームの中で騒がれるシンギュラリティの到来について、著者は自身の研究に基づき、少なくとも近い将来には起こらないと否定している。

 

「東ロボくん」の研究の中で、著者はAIの苦手分野として読解力をあげ、

「一を聞いて十を知る能力、応用力、柔軟性、フレームに囚われない発想力があればAI恐るるに足らず」とまで述べている。

 

しかし、現実は厳しい。

著者の調査によって分かったのは現在の中高生の読解力不足だった。

 

半数近くの中高生は

「教科書が読めない」のだ。

 

たとえAIが読解力を苦手としていても、読解力がない人間は早晩、AIに代替されその後の職にも就けなくなる。「AI恐慌」の到来だ。

 

この現状に警鐘を鳴らすべく世にでたのが本書であるが、残念ながら現在の日本の公教育はアクティブラーニングに力を入れるばかりで、読解力不足に気づいてすらいない節すらある。

 

また著者の調査でも、読解力との相関が見られる習慣等は見つからず、(読書好きなどは関係がない。唯一、貧困は読解力不足につながるとしている。)

読解力不足への明確な処方箋は現状ない。

 

著者は生き残る術として、人が困っていることで需要が供給を上回るものであれば仕事になると提言しているが、読解力不足への答えにはなっておらず、結局はAI恐慌の到来を防げないのではないかという不安は拭えなかった。

(労働市場を生き抜く生存戦略の一要素としてはいいと思うが…)

 

数学者である著者の特徴なのか、総じてロジカルな印象であり、多少回りくどい

言い回しがクセになるいい本であった。

 

まちづくりに求められる人材

まちづくりに求められる人材として

 

①よそ者

②若者

③馬鹿者

 

この三者が必要であるといわれて久しいですよね

 

中にはこの三者に「切れ者」を加えたり、

「経営人材」を加えたりしてる人もいるみたいですが

 

この三者論、逆に考えると

「地元育ちの、頭の硬い、おっさん」ほど

いらない人材はないってことです。

 

言い方に語弊があるかもしれませんね。

正確に言えば、彼らは地域に多すぎるので充分足りてるんです。

 

加えていえば

彼らが今までしてきたまちづくりの結果が今のまちの姿なわけで

これからのまちづくりに必要かといえば疑問符がつきます。

 

ただ彼らにも大事な役目はあります。

何か失敗したとき(例えば、地域活性化の切り札として補助金をつっこんで作った複合施設が民間テナントに逃げられて、結局すべて公共で床を埋めることになったしまったときとか…例えばですけどね。)

そういう時に頭を下げる役目ですね笑

 

誰もそんな役目を負うのはごめんです。

だからこそ過度にリスクを取らなくなるんですね。

 

しかし今この時代、

リスクを取らないこと自体が

リスクです。

 

リスクを取りたくないけど、責任も負いたくない、

だけど権限はある地元の頭の硬いおっさんは

是非自分の地域で自分でリスクとってる若者に

責任も負わせる形でやらせてください。

 

それができた地域だけ生き残ると思ってます。

まだ企業誘致やってるの?

 地方の自治体が取り組む産業政策の大きな柱として「産業振興」と「企業誘致」がある。

 

 どちらも地方に雇用を生み出すため、かねてから用いられてきた手段だ。

 表題に答えは出ているのだが、もし仮にこの2つに優劣をつける場合、産業振興こそ優先して取り組むべきテーマだと私は考えている。

 

 戦後、地方の企業誘致を大いに盛り上げたのは間違いなく田中角栄の「日本列島改造論」だ。太平洋ベルトに代表される重工業を、東京と地方を結びつけることで裏日本など地方各地に「ミニ東京」を作り出そうとした。

 

 日本列島改造論は地方に雇用を作るという意味では一定の成果を挙げたといえるが、同時に地方都市の中心市街地の空洞化を招いた。

 

 当時地方への企業誘致がそれなりにうまくいっていた要因については

 ①地方の安価な労働力と土地

 ②大量生産大量消費

 ③技術の内製化

 などが挙げられる。

 

 ところが現在はどうかといえば、

 ①については当時と異なりグローバル化が進み、地方よりもアジアのほうが安価な労働力・土地を提供してくれる。

 ②についても、これからは多様化、多極化の時代であり、求められるのはオーダーメイドだ。

 ③についても、これからの時代、すべての技術を一気通貫で自社でまかなうことは現実的ではない。むしろ専門性の高い分野についてはアウトソースする時代であり、関連する産業が隣接することにメリットがある。7大都市はともかくその他の地方ではビジネスパートナーも少ない。

 いずれの要因においても企業側にとって新たに地方に進出する動機は小さくなっているのだ。

 

 ジェインジェイコブスは「発展する地域・衰退する地域」において、地域経済を転換させる力として、地域内の都市の市場、仕事、技術、移植工場、資本を上げている。遠方の都市のこれらの力の一部分がもたらされると歪な状態を生み出すとも述べている。東京に本社機能をもつ企業の工場誘致はまさにこの状態であり、その地域にとっていびつな雇用を生み出し、撤退時には住民もろともなくなってしまう。

 

 これらの現況を鑑みるに、行政として限られたリソースをさくべき方策は産業振興である。その際、圏域内の都市を中心に輸入代替産業を育てていかなければならない。

 企業誘致に関しては、圏域の産業構造、集積から導き出した産業クラスター政策にのっとり、できる範囲で取り組むべきだ。

 

図書館よ自由を守れ

 

 まず「図書館の自由に関する宣言」というものをご存じだろうか。これは日本図書館協会の綱領であり、戦前思想善導機関として機能した歴史への反省を元にしているものだ。有名な有川浩の「図書館戦争シリーズ」はこの「図書館の自由に関する宣言」を元に、検閲が合法化された世の中でいかに図書館が本を守っていくかを描いた作品だ。宣言の全文は以下の通りである。

 

図書館の自由に関する宣言(抄)

 図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。

第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

 

 幸い現在の日本において検閲は憲法で禁止されているが、実は今これらの自由が脅かされる事態が起きている。

 

this.kiji.is

 出版不況が叫ばれて久しいが、ついに出版社は図書館に「本を貸すな」と言ってきたのだ。

 確かに電子書籍の普及などで、業績が苦しい現状は理解できるが、図書館に原因を求めるのは筋違いだ。1企業の経営と図書館の自由は別問題である。東芝神戸製鋼の件もだが、利益至上主義が行き過ぎた結果、目先の利益を追求し社会全体に大きな損害をもたらすことが増えてきたように感じる。

 こうした問題は一つ認めてしまうとなし崩しに全体へ波及する危険をはらんでいる。図書館は決して軽視してはならず、図書館の自由が侵されているのだと受け止めなければならない。

 

 自由が侵されるとき図書館が何をすべきかは、宣言の終わりに書いてある。

 「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」

 

 お金を払わなければ本が読めない、そんな世の中にしてはならない。

 

 

 

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 (写真はツタヤ図書館こと武雄市図書館入り口に飾られている「図書館の自由に関する宣言」)